1976年の「ゆく年くる年」
1976年の大晦日から1977年の元日にかけて、全国の民放で一斉に同時放送された『ゆく年くる年』の音声である。
この年の制作局はTBSだったようで、司会は田宮二郎氏、レポーターは山口百恵氏、ヘリコプターから中継しているのは当時TBSのアナウンサーであった久米宏氏、他にもまるで昭和のテレビ黄金時代を象徴するような、そうそうたる顔ぶれである。
関西からの中継(毎日放送だろうか?)では鳳蘭氏や桂三枝師匠のほか、横山やすし・西川きよし師匠とおぼしき声も聴こえる。やはり今のテレビと違って、レポーターの声や言い回しにも何処か気品が感じられる。
奇しくも田宮氏は新年を迎えた翌年に自ら命を絶ってしまい、山口氏もその2年後に引退してしまった。
1976年といえば、私は当然生まれる前のことだが、まだ敗戦からやっと30年ほどが過ぎたばかり。動画の中にも東京の紡績工場で働いていた女性や北海道の国鉄駅員など、戦中戦後の混乱の中を、死に物狂いで生きてきた人々の声が綴られている。
日本中ががむしゃらに純粋に、いろいろ多くの矛盾や問題を抱えながらも、「今日よりも素晴らしい明日」を追い続け、「より優れた国々」を見習い追いつき追い越そうと、蒸気機関車のように全力で走り抜こうとしていた、あの時代の息吹が伝わってくる気がする。
あれから更に40年近くが経つ。
この国は、この社会は、あの時代の精神をどれほど残しているだろうか?「今日よりも素晴らしい明日」を追い続ける、「より優れた国々」を見習おうとする精神は、今どれほどあるだろうか?数々の矛盾や問題を解決しようとするよりも、「まぁ、それでも仕方がないよね」「もう、どうにもならん」と居直ってしまっていはいないか?
そんなことを最近、自分はいつも考える。決してあの時代が素晴らしい、ユートピアのような時代だったとは思わないが。
もうすぐ年末が近づいてくる。最近の民放は何処の局も、わざわざ年越しの瞬間に放送する意味を感じられないようなバラエティばかりなので(アーティストのライブなどはまだ良いと思うのだが)、全民放同時放送と言わずとも、何処か1局でいいからこういう感じの「ゆく年くる年」を放送してくれればいいのになぁと思う。NHKばかりではそろそろマンネリというのもある。
高校野球ユニフォーム・福岡
小倉(北九州市)
戦前から続く文武両道の名門で、夏は優勝2回。1947年夏は旧制小倉中、翌48年夏は新制小倉高として2連覇を達成した。春の選抜でも2回の準優勝を誇る。
胸のKマークが、ドイツ文字を意識したのかかなり独特のデザインだ。
三池工(大牟田市)
1965年夏、春夏通じて初めての甲子園で初出場優勝。その後は現在に至るまで甲子園に出場していないため、現在まで甲子園では勝率10割の負けなしである。同校を率いた原貢監督はその後、東海大相模で黄金時代を築いた。
1960年代のユニフォームによくあるズボン番号が入っている。帽子のMマークは当時は白、現在はオレンジ色のようだ。
優勝経験こそないが、ここも小倉と並ぶ文武両道の名門。仰木彬監督の母校でもある。
白と臙脂のスタンダードな早稲田スタイルで、実際は左袖に校章が入る。
1992年夏の甲子園で優勝。あの新庄剛志選手の母校としても知られる。
胸に漢字で「西短」のシンプルなデザインだが、新庄の在学中は「NISHIDAI」と書かれていた時期もあったようだ(何故「NISHITAN」ではなく「NISHIDAI」なのかよく分からない)。実際は左袖に校章が入る。
福岡第一(福岡市)
1988年夏の甲子園で準優勝。深緑と縦縞、筆記体の「Daiichi」ロゴという基本デザインは変わらないが、ロゴに黄色い縁取りがついたり縦縞の幅が太くなったり、いろいろマイナーチェンジを繰り返しているようだ。ここでは1988年のものを掲載した。
播州の秋祭り2015・番外編 Vol.4
「播州の秋祭り2015・番外編」シリーズも今回が最後である。
毎年、流行の人物やアニメなどの趣向を凝らしたキャラクター提灯をつくることで知られる吉美。今年はこの人たちだったのだが・・・両脇のサングラス2人組は何処へ消えたのだろう。普段テレビなどほとんど観ないのだが、気づけば1年も経たぬうちに見なくなったような。
某国民的アニメの敵キャラも…。
最後はこの通り。
新在家のだんじりを引っ張る子どもたち。ここには写っていないが、胸にサラシを巻いた中学生くらいの女の子たちもいる。
各町のだんじりを先導するのは、「流し」と呼ばれる晴れ着姿の女性たち。三味線や太鼓で様々な曲を演奏する。これは余子浜。
そういえば数年前、ピアニカでゴールデンボンバーの『女々しくて』を演奏する流しも見たことがあった。
神社の社殿脇に設けられた臨時の売店で購入した「魚吹」。「灘まつり」と同じく網干の本田商店が造っている(やはり地元企業なので・・・)。実を言うとまだ飲んでいない。
播州の秋まつりシリーズ・CM編 Vol.1
サンテレビの名物番組『播州の秋まつりシリーズ』といえば、毎年この時期しか放送されない地元企業のCMが多いことでも知られている。
今回は高砂神社の番組から、特に個性的なものをピックアップしてみた。
魚亭 やつか
近年ではほとんど見られなくなった、1枚ものの静止画にナレーションのみのCM。デザインも年代物っぽく、「何十年前に作ったんじゃああああああああ」と言いたくなるようなセンスだが、そこがたまらなく良い。
寿司・天ぷら 天繁
お祭り番組だからか、それとも高砂という地域性ゆえか、やはり日本料理店のCMが多い。静止画CMではないが、恐らく最後の1枚以外は相当に昔から使っている映像と思われる。
活魚・仕出し・弁当 つりた
「サンモール高砂」内にある鮮魚店。3枚の静止画CMだが使われている写真は比較的新しそうだ。
三晃商事
バッグなどの通販を手がけている会社のようだが、写真に写っている女性のファッションが何処か時代を感じさせる。ここも静止画2枚とナレーションのみで、ブルーバックを基調にした雰囲気は「魚亭やつか」に近い印象を受ける。
播州の秋祭り2015・番外編 Vol.3
魚吹の秋祭りで撮った「小ネタ」的な写真いろいろ。
JR網干駅から魚吹八幡神社を経て山陽網干駅に向かうこの道(県道27号太子御津線)は、私も幼い頃から何度も通ったことがある。
細くて狭く古い道なのだが、周りにはガストがあったり大規模なパチンコ店があったりと、幹線道路のロードサイドのようにかなり開けている。何だか不思議な空間だ。
祖母の家でいただいたこのしろ寿司。播州の秋祭りには欠かせないごちそうだそうで、一度食べてみたいと思っていた。祖母は「つなし」と呼んでいた。食感はしめ鯖に似ているが、皮が意外と丈夫で噛み切りにくい。
祖母に教えてもらった、朝日谷から神社へ向かう田んぼ道。この道も幼い頃、祭の帰りに通った記憶がある。
写真では本当にのどかな1本道だが、ここも意外なところにコンビニやガソリンスタンドが建っていたりして、そのギャップに驚く。住宅も多いし、近年になってから開発されたのだろうか。
ミニシデ棒。ある方に御旅所の近くにある臨時の売店を教えてもらい、そこで購入した。
私が前に自分で作ったことがあるミニシデ棒よりも、ずっと作りがしっかりしている。
(Vol.4へ続く)
魚吹八幡神社秋祭り2015 本宮
2015年10月22日、魚吹八幡神社秋祭りの本宮を見に行った。
朝日谷にある祖母の家から、祖母に教えてもらった田んぼ道を通って津の宮まで向かった。
神社西側の御旅所に勢ぞろいした各町の屋台。屋台18台、だんじり5台という参加総数は恐らく播州最大規模。あの灘のけんか祭りよりも多い。
朝日谷の獅子だんじり。祖母も宵宮の日に獅子舞を見に行ったそうだ。
大江島の屋台が鳥居をくぐり、参道を通って宮入に向かう。今年はトップバッターということで、どうしてもこれを見たくて早めに祖母の家を出た。大江島は母が幼い頃に住んでいた町だ。
神社の境内にて、津市場北のチョーサ。
屋台は昨年新調したばかりで、地元の方に教えていただいたところによれば、露盤は漆を塗るまで仮露盤、狭間(さま)も来年に仮の狭間をつけるという。
写真では分かりにくいが、糸井屋台は楼門の前でグルリと1回転した。宵宮の日にも網干駅前で1回転パフォーマンスを見せてくれた。チョーサも何処よりも高く上がる。
宮田のチョーサ。
宮入のラストを飾った田井のチョーサ。前にも書いたが、私が幼い頃に住んでいた家もこの田井にあり、大津茂小学校のグラウンドで何度か遊んだ記憶をわずかに覚えている。
新在家のだんじりが宮入りする。上で歌っているのはどういった人たちなのか、歌の内容もあわせてたいへん気になる。
余子浜のだんじりが宮入する頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。
昨年は雨にたたられたが、今年は最後まで晴天に恵まれ、播州の秋祭りのフィナーレを飾るにふさわしい成功のうちに終えることができた。
魚吹八幡神社秋祭り2015 宵宮
2015年10月21日、播州の秋祭りのフィナーレを飾る、魚吹八幡神社秋祭りの宵宮を見に行った。
JR網干駅を降りると、各地区の屋台が次々と駅前に集まっているのが見えた。
網干駅前に、糸井、坂出、福井、高田、和久の5台の屋台が勢ぞろいした。
和久、高田、福井の3台練り。
神社に移動。楼門前で、津市場、坂上、津市場北の3台練り。
自分のいた場所からだとどうしても津市場の屋台が幟に隠れてしまい、3台揃った写真を撮るのも一苦労だった。
平松の提灯練り。提灯練りは夜に行われ、激しく動き回る人々を撮るということで、これと言った写真の勉強をしていない自分はもう「下手な鉄砲も数撃ちゃ・・・」というレベルである。
毎年、趣向を凝らしたキャラクター提灯で知られる吉美の提灯練り。キャラクター提灯の紹介については、また後日改めて書く。
大江島の提灯練り。
興浜の提灯練り。毎年、この辺で中座しなければならず、この後の余子浜や垣内の提灯練り、神輿の渡御を見られないのが残念だ。