魚屋とお客と子どもたち
自転車からトロ箱を下ろす魚屋のおじさんと、お客と子どもたち。
かつて、母や祖母から「昔は自転車にトロ箱を積んだ魚屋さんが家の近くまで来ていて、『これまけてぇな』などと値段を交渉して買っていた」という話を聴いた。
自分の世代など「物を買う」といえば、店に行って値段のついている物を買った経験しかなく、値段のついていない物を「もう少し負けてくれ」と交渉して買う、というやり方がよくわからなかったので、それがすごく新鮮に感じた。
「刺身は10分くらいかかりますけど、大丈夫でっか?」
「わかりました。後でこの子に取りに行かせまっさかいにな。これ、おばあちゃんはちょっと用事があるし足も悪いさかい、お刺身ができたらあんたが取りに行くんやで」
「ハーイ」
「おい坊主、売り物なんやからあんまり魚を触ったらいかんど」
「大丈夫やって。ちょっと見とっただけやって」
「あんた、魚屋さんもあない言うてはるし、もうそろそろ帰るで」
沖縄2017 Vol.3
3日目は伊是名島から本島に戻り、いつも定宿にしているコザの宿に移った。
コザの夕暮れ。
4日目に訪れた浜比嘉島の家々。うるま市のJA与那城支店前から海中道路を通って伊計島までを結ぶ小さなバスが出ており、これに乗って浜比嘉島に向かった。
小さな島であるが、ここもさとうきび畑の中に伝統的な瓦屋根の家が頭をのぞかせる、のどかな風景が見られる好きな島だ。
浜比嘉島のムルク浜。
比嘉港湾前というバス停で降り、リゾートホテルの脇の道を少し歩いて行くとビーチに着く。
ちょうど空が曇ってきてしまったのだが、それでも晴れ間がのぞくタイミングを見計らってシャッターを切った。
海水浴の準備は何もしてこなかったのだが、島ぞうりを履いた足を波打ち際に突っ込んで「足の先っぽだけ海水浴」を楽しんだ。これがまた結構、水が冷たくてなかなか気持ち良かった。
コザで一番の繁華街「中の町」と、宿の近くの風景。
最終日は那覇まで出た後、そこからバスを乗りつぎ、南部の南城市にある新原ビーチに行った。
前日とは違い快晴で、ここでも写真を撮りながら島ぞうりを履いて「足の先だけ海水浴」を楽しんだのだが、ムルク浜と違って海水がぬるかったのがやや難点だった。
沖縄2017 Vol.2
今回訪れた伊是名島は琉球王朝の第二尚氏王統の創始者・尚円王(「第二」となっているのはクーデターで第一尚氏王統を倒したため)の出身地であり、琉球王国時代には王府の直轄領であった。現在の住所が「島尻郡伊是名村」となっているのはその名残である。
前述のように2日目はレンタサイクルを借り、伊是名地区までサイクリングしたのだが、想像以上にアップダウンのきつい道で、両腕を日焼けするわトゲのついた草の実がズボンにくっつくわ(この手の草は何処にでも生えているが伊是名島のものはとりわけ痛かった)で、大変な目にあってしまった。
銘苅家住宅。銘苅家は尚円王の叔父の末裔で、代々島の地頭を務めた家柄であった。
聖地「アハラ御嶽」の付近から撮った、陸ギタラと海ギタラ。見ての通り相当に高い場所なので、最後はここまできつい坂を自転車を押して歩いていた。
そして下り坂から見えた海。
仲田港のすぐ近くにある「居酒屋お食事処 やま」で、昼食に肉野菜炒め定食を食べた。
野菜にもやし、豆腐、豚肉にランチョンミートまで入って、正に「チャンプルー」という言葉がピッタリ似合う感じだった。
地元の人に、「13~14時頃は一番暑くて日差しもきついので、外は出歩かない方がいい」と言われ、その後は結局、クーラーのよく効いた港の待合室で、テレビを見ながらひたすらボーッと過ごしていた。
2日目の夕食。
3日目に登った伊是名城跡。ふもとにある石垣は陵墓「伊是名玉御殿」。
写真では分かりづらいがピラミッドにも似た独特の形をしており、海からも陸からもよく分かる。
山頂への道があったので登ろうとしたのだが、思った以上に険しい山道で、結局中腹まで登ったところで断念してしまった。
仲田港から伊是名城跡に向かう途中にある「タアシ美浜(ターシ浜)」のビーチ。
船の出発を待つ間、港のレストランで食べた沖縄そば定食。
お昼の書き入れ時だったせいで注文がなかなか来なかったり、セルフサービスの給水機の水がなくなっていたりで、なかなか難儀した。
フェリーが島を離れる。伊是名城跡も海の上から見ると、ピラミッドの形をしているのがよく分かる。
船内のテレビでは高校野球沖縄大会の決勝、興南-美来工科の試合が放送されていたが、あまりの一方的な試合展開で、途中からお客は誰も中継を観ていなかった…。
(つづく)