日生球場の跡地
かつて大坂城の向かい側、森ノ宮駅のすぐそばにあった日本生命球場、略して日生球場。近鉄バファローズの本拠地として長く使われたこの球場も1997年に解体。昨年の冬、その跡地に行ってきた。
画面左側がバックネット裏、右側が三塁側内野席といったところか。土盛り式のスタンドの跡がまだ残っている。
周りをぐるりと1周するとかなり狭い球場だったことが分かるが、この分だとグラウンドだけでなくスタンドも相当に狭かったのだろう。収容人数も少なそうだ。
バックネット裏の正面入口あたり。みんなこの階段を上って球場へ入って行ったのだろう。
「こらーあ、いてまえー!」「誰が投げてもいーっしょ!」「南海電車はボロ電車、近鉄電車は2階建て!」といったヤジが聞こえてきそうな。
近くの歩道橋の上から撮る。歩道橋には「昭和45年3月完工」と書いてあった。ちょうど近鉄の本拠地として使われていた頃だ。
多くの人々がこの歩道橋を渡って観戦に来たのだろうか。「今日の先発は啓示やで」「栗橋は打ってくれるかいなぁ」「相手は阪急か?西本さんのおったところやないか。こら負けられへんで」などと言いながら。
この扉はもしかして当時の入口の跡だろうか?場所からすれば恐らく一塁側内野席の辺りと思われる。
自分が野球を見始めた頃、近鉄の本拠地といえば藤井寺球場で、テレビ中継を観ていると、グラウンドの向こうに広がる住宅街や生駒の山々がとてものどかな雰囲気に見えた。
日生球場での試合は年に数試合程度に減っていたが、外野席がとても狭く見えたのが印象に残っている。日生も藤井寺も、当時既に珍しくなったパネル式のスコアボードだった。
藤井寺、日生、大阪、西宮、中百舌鳥、川崎・・・1度行ってみたいと思いながら、自分があちこち出歩けるようになった頃には全て閉鎖されてしまっていた。