名将 Vol.2
昭和50年代、沖縄の興南高校で活躍した名将・比屋根吉信監督を描いてみた。
報徳学園高から大阪体育大、卒業後は社会人野球の西濃運輸でプレーした後、1976年に興南高の監督(保健体育科教諭)に就任する。1968年に沖縄県勢初のベスト4に進出した名門校も、当時は部員が数人程度と低迷していたという。
1980年に夏の甲子園に出場するとベスト8まで進出し、その後は1983年夏まで4年連続出場。1981年と1983年には春のセンバツにも出場している。
1986年に退任するまでの間、甲子園には春2回、夏4回出場。仲田幸司や渡真利克則、デニー友利らのプロ選手も多く育てた。
近年では2009~12年まで京都大の監督を務め、今年のドラフト会議でロッテに指名された田中英祐投手も育てている。
座右の銘は「積小致大」。
昭和57年夏の甲子園 2回戦 熊谷対興南 - YouTube
沖縄高校球界における名将といえば、豊見城高や沖縄水産高を率いて2年連続夏準優勝に導いた故・栽弘義氏、近年では興南高を春夏連覇に導いた我喜屋優氏や、沖縄尚学高でセンバツ優勝した比嘉公也氏があまりにも有名だが、この比屋根氏も忘れてはならないように思う。