高校野球ユニフォーム・大阪
野球王国・大阪を代表するのみならず、全国にその名を轟かせた名門。甲子園で残した実績もさることながら、輩出したプロ選手も数多い。現在は熊取町に引っ越し名前も大体大浪商と改められたが、純白に「NAMISHO」のユニフォームは当時から変わっていない。
PL学園(富田林市)
1978年夏の「逆転のPL」と呼ばれた初優勝、1981~82年にはセンバツ2連覇、1983年夏は夏春夏3連覇を目指した池田高を粉砕、そこから1985年にかけてのKKコンビの活躍、そして1987年の春夏連覇・・・その後の現状は・・・敢えてここでは何も言うまい。
かつては一目見ただけで対戦相手を震え上がらせたと言われる2段書きのユニフォーム。帽子のPLマークは同校の校章のようだ。
上宮(大阪市)
PL学園の黄金時代が終焉にさしかかった頃、入れ替わるように台頭した上宮。1989年春のセンバツで今なお語り継がれる悲劇の準優勝、4年後の1993年春には悲願の初優勝。輩出したプロ選手も数多い。私が野球を見始めた頃、センバツに何度も出場していたのでこのユニフォームは今も覚えている。袖の2本ラインが特徴的だ。
近大付(東大阪市)
1990年春、初出場で決勝進出し「新田旋風」を起こした新田高を破り優勝した。その後、校章の変更をはじめ、帽子やアンダーシャツが青になったり文字に臙脂の縁取りがついたりいろいろリニューアルしたようだが、ここでは優勝時のものを掲載した。現在は水色の地に臙脂で「KINKI」と書かれ、近畿大とほぼ同じデザインになっているようだ。
1991年夏、創部4年目で初出場優勝。その後しばらく低迷したが21世紀に入ると復調、春1回・夏4回の優勝を誇る。2012年には春夏連覇も達成、常勝軍団の仲間入りを果たした。このイラストではオミットしたが、臙脂のストッキングがとても特徴的だ。
1990年代後半から力をつけ、21世紀に入ってからは甲子園の常連となり、2014年春に準優勝。現在では大阪桐蔭と並び2強の地位を確立している。夏に強い大阪桐蔭と比べ、主に春の選抜で活躍することが多い。
ユニフォームはアンダーシャツとストッキングは青なのだが、帽子やロゴは青なのか紺なのか判別が難しい独特の色使いである。実際は左袖にエンブレムが入る。
大鉄(松原市)
戦後間もない頃から1970年代にかけて甲子園で活躍、1971年春には準優勝。「Daitetsu」のロゴが特徴的だが、ユニフォームのデザインは頻繁に変わっており、1965年頃は左胸に花文字の「D」1文字だけだったり、センバツ準優勝の時はロゴに縁取りがなく袖ラインが入っていたり、1976年頃には大文字で「DAITETSU」と書かれていた時期もあったようだ。
ここでは1977年夏のベスト4の時のものを掲載した(実際は左袖に校章が入る。)。これが大鉄高として最後の甲子園で、現在は阪南大高と改称され、今に至るまで甲子園からは遠ざかっている。
桜宮(大阪市)
1982年春の選抜に出場した市立高校。甲子園出場はこの1回のみで特筆すべき記録はないのだが、この紺に臙脂のツバという組み合わせの帽子は、八戸学院光星や聖望学園、楊志館、東北福祉大など、全国各地の高校や大学のユニフォームに大きな影響を与えたデザインなので、敢えてここに掲載した。実際は左袖に校章が入る。
大阪府は長年、ユニフォームに関する規定がかなり厳しいことで知られ、グレーや水色といった色つきや縦縞のユニフォームはつい最近まで認められてこなかった。現在は規定が緩和されたようで、東海大仰星や東大阪大柏原、大阪偕星などが縦縞を採用している他、近大付も近畿大と同じ水色のユニフォームを着ているようだ。