高校野球ユニフォーム・岡山&鳥取
1965年春のセンバツで優勝した、岡山を代表する名門(岡山県勢の甲子園優勝は現在のところ、春夏通じてこの1回のみ)。ユニフォームのクリーム色は地元の名産の桃にちなみ「白桃色」と呼ばれている。
岡山南(岡山市)
1970年代後半~90年代にかけて甲子園に何度も出場、多くのプロ選手も輩出した。この水色のユニフォームは1度だけ、テレビ中継で見たことがある。かつてはこの岡山南をはじめ、横浜商や取手二など水色のユニフォームを着た学校を度々見たものだが、近年はとんと見かけなくなってしまったのが寂しい。
1999年夏の甲子園で準優勝。今も岡山県内では語り草になっている。現在はロゴの書体と左袖の校章がマイナーチェンジされたが、ここでは当時のものを掲載した。
米子東(米子市)
1960年春のセンバツで準優勝した、鳥取県を代表する名門。1996年春の選抜に出場した時、テレビ中継で見たこのユニフォームは強く印象に残っていた。
純白を基調に、ロゴと帽子のマークは鮮やかな明るい緑で黄色の縁取りが入る(実際は左袖に紋章が入る)。ロゴなどに深緑を使う学校は度々あるが、このような明るい緑を使う学校は全国的にも非常に珍しいのではないか。昔からこの明るい緑を使っていたのだろうか。
昭和50年代、甲子園で一時代を築き「山陰の暴れん坊」の異名をとった。鳥取県において私学が甲子園に出場したのは、この倉吉北が初めてだったという。
このユニフォームは当時の徳山監督がデザインしたものだったらしい。袖やズボンの太いラインは他にも横浜商や取手二、金足農など、同時期に活躍した学校が採用していたが、この時代の流行だったのだろうか。
八頭(八頭町)
1980年代後半から力をつけ、夏を中心に度々甲子園に出場している。肩のラインは箕島や郡山、新湊などに似た雰囲気がある。実際は右袖に校章が入る。