播州オクトーバーフェスト

播州の祭と沖縄を愛するイラストレーター まとばあきお です。自作のイラストをはじめ、日頃の出来事や日々思うことなどを書いていきます。お仕事のご依頼は「matrixakio【アットマーク】gmail.com」まで。

恵美酒宮天満神社秋祭り2015 本宮

2015年10月9日、前日に続いて恵美酒宮天満神社の秋祭り(本宮)を見に行った。

 

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飾磨駅前の踏切で、練り場に向かう御幸屋台の前を山陽電車が横切る。

 

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飾磨駅北の練り場にて、東堀御幸の2台練り。

 

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栄町小瀬の練り合わせ。

 

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4町の幟。左から玉地都倉北細江清水。何故この4町だけが幟を立てているのか、由来はよく分からない・・・。

 

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三井住友銀行前にて、都倉の台場練り。 

 

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御幸の台場練り。太鼓台の真下にいる24人だけで屋台を支えているのがお分かりいただけるだろうか。

 

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神幸祭。今年の神輿奉仕町は小瀬

会場となる御旅所は、神社の前の広場(浜先)の1段高くなった場所。 

 

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北細江清水玉地の3台練り。

 

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小瀬御幸東堀清水の4台練り。

先ほどの御旅所から撮影したのだが、やはり撮影におあつらえ向きの場所はほとんど既に他の方に取られてしまい、ほとんどこのような写真しか撮れなかった。しかし中には親切にも一時的に足場を譲って下さる方もいた。感謝しかない。

 

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宮出しを終えた清水の屋台が帰路につく。

恵美酒宮天満神社秋祭り2015 宵宮

2015年10月8日、姫路市飾磨区にある恵美酒宮天満神社の秋祭りを見に行った。

 

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宵宮の日、栄町の子どもたちが街を行く。

 

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東堀の屋台と子どもたち。この子たちが持っているような、一回り小さいサイズのシデ棒が欲しいなぁ・・・と感じることがある。

祭りが終わった後、各町ともどのようにしておられるのか分からないが、2、3本ほどもらい受けることってできないのかな・・・?とつい思ってしまう。

 

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東堀の台場練り。屋台についている「違い鎌」の紋は、菅原道真公が大宰府に左遷される途中でこの辺りを通りかかった時、彼を慕う村の人々が鎌で草を刈って通り道を作った・・・という故事にちなむ。

 

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小瀬の台場練り。

 

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北細江の台場練り。

 

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北細江玉地清水の3台練り。北細江の屋台は他と比べると一回り大きいことが分かる。

 

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玉地北細江栄町の3台練り。

 

播州の秋祭りを追い続けてもう5年ほどになるが、魚吹は自分と母の生まれ故郷、高砂は友人の住む街、荒井も両親に縁がある地なのだが、何故特に自分と縁があるわけでもない恵美酒(飾磨)の祭にこれほど心魅かれるのか、自分でもちょっと分からない部分がある。

高砂神社秋祭り2015 本宮

2015年10月11日、前日に続いて、高砂神社秋祭りの本宮(例大祭)を見た。

今年は宮入の途中からになってしまった。

 

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鍵町の宮入り。

 

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東宮町の宮入り。

 

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東宮町の舞子と乗り子の皆さん。

 

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各町の舞子の皆さんが勢揃い。そばで話していた地元の人によると、昔は全て女の子だけで務めていたのだが、最近は子どもの数が減ったために男の子も務めるようになったのではないか、とのことだった(地元の人間ではないので真偽のほどはよく分からないのだが・・・)。

 

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浜田町の宮出し。鬱蒼とした神社の木々と露店の間を屋台が進む様子は、正に「鎮守の杜」という言葉がピッタリ似合う光景で、とても気に入っている。

 

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宮出しの後、毎年恒例になった農人町戎町の練り合わせ。今年は屋台の上のおじさん2人の表情が実によく撮れたのだが、肝心の練り合わせ自体は短時間で決着がついてしまったような気がする・・・例年15分前後は延々続くのだが・・・。

 

 

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浜田町中部西畑鍵町農人町の5台練り。

 

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鍵町東宮町農人町戎町の4台練り。手前の浜田町屋台に隠れてしまっているが、これはこれで面白い構図かも知れない(サンテレビの放送にありそうやな・・・)。

 

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2日間に及んだ高砂神社秋祭りの、クライマックスにしてフィナーレを飾る9台練り。

 

今年は今まで練り合わせの「撮影ポイント」にしていたある場所が使えなくなってしまい、新たな撮影ポイントを探すのも一苦労だった。

「打ーちましょ! もひとつ来い!! 祝うて三度!!!」

高砂神社秋祭り2015 宵宮

2015年10月10日、高砂神社秋祭りの宵宮(神幸祭)を見に行った。

 

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11時。街の人々から惜しみない拍手を送られ、神輿渡御行列が出発する。

 

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今年の御先司(おさきつかさ)は戎町、獅子司(ししつかさ)は農人町。

街の中を子どもたちと大人たちに曳かれてだんじりや神輿が進む光景は、いつ見ても心が和む。高砂の宵宮で一番好きな光景だ。

 

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御旅所は毎年恒例、ショッピングモール「サンモール高砂」の駐車場。

 

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御旅所祭が終わると、恒例の「神輿くぐり」。願いごとをしながら神輿の下をくぐると願いが叶うと言われる。子どもたちは難なくくぐっていたけど、大人はちょっと一苦労である。

 

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御旅所の前をだんじりが何度も全速力で往復する。神様の旅の再開である。勢い余って転倒する人もいた・・・。

 

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1日がかりの神様の旅も終り、神輿が神社へ帰ってきた。鳥居をくぐり楼門の前で最後の神輿振りが行われた。

 

高砂の秋祭りはこの高砂神社といい、あるいは曽根や荒井といい、お隣の姫路の荒々しさとは少し違う「優美さ」が大きな魅力である・・・ということにやっと気づいた。

甲子園 2015夏

甲子園球場に、滝川第二中越の試合を見に行ってきた。

 

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今日は日曜の第3試合、更に同じ関西勢の天理と智弁和歌山も登場するとあってなかなか切符が手に入らず、やっとスタンドに入れた時には既に3回に差しかかっていた。

 

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滝川第二のエース、友井寛人投手。

 

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滝川第二の応援はロッテにも似てタオルを振り回すスタイルだった。

 

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「シーソーゲーム」という言葉を絵に描いたような1点を追いつ追われつの試合は9回、結城選手のヒットでサヨナラ勝ち。

思えば1年前の夏に見た沖縄尚学-二松学舎の試合も同じ9回サヨナラ勝ちで、この一塁側アルプスから応援したのを覚えている。

 

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校歌斉唱。

「♪万古色増す神撫や 水溶々の須磨の浦
 我が滝川の学園は 熱血燃ゆる若人の
 理想に清き花かおる 映ゆる姿の気高さよ♪」

板宿にある滝川高校と同じ校歌なのだろうか? 

 

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山本真史監督。滝川高出身の保健体育の先生で、1999年夏にベスト8に導いた。私もつい最近まで知らなかったのだが、自主性を重んじる優れた監督のようだ。マネージャーへの気遣いにも、人柄の良さがうかがえる。

 

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校歌斉唱を終え、選手たちがスタンドへ挨拶に向かう。

中越に先制されて重苦しい空気から始まり、山名選手の怪我というアクシデントもあったけど、勝てて良かった。

 

そういえば、アルプススタンドの後方で「よーいやさー!よーいやさー!」の声が聞こえていたが、あれは播州から来た少年野球の子どもたちだったのだろうか?

高校野球ユニフォーム・北海道

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駒大苫小牧苫小牧市

2004年夏、白河の関を大きく飛び越え、初めて優勝旗を北海道に持ち帰った。翌年も57年ぶりとなる夏の甲子園2連覇、更に翌年は3連覇こそならなかったものの、早実との引き分け再試合の末に準優勝。その大活躍は今も記憶に新しい。

帽子のKマークは白だが、何故かヘルメットのマークは黄色(金糸か?)になっていた。

 

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駒大岩見沢岩見沢市

駒大苫小牧が台頭する前、北海道の高校野球における名門といえばこの駒大岩見沢だった。このグレーのユニフォームと「ヒグマ打線」と呼ばれた強力打線は有名で、1993年春にはベスト4にも進出したが、2014年3月を以て廃校となった。

帽子のマークは「KOMAZAWA」だが、「K」1文字の時期もあったようだ。

 

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北海(札幌市)

更に歴史をさかのぼると、北海道で最初の名門はこの北海高だった。プロに輩出した選手も数多く、1963年春の選抜では準優勝している。

 

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東海大四(札幌市)

今春のセンバツで準優勝した。縦縞に筆記体ロゴというお馴染み東海大系のユニフォームだが、白地で袖文字もない比較的シンプルなデザインだ。現在はストライプが太くなり、間隔も広くなったようだ。

高校野球ユニフォーム・香川&徳島

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高松商高松市

1924年に行われた第1回センバツの優勝校であり、春夏それぞれ2回ずつの優勝を誇る香川の名門。いわゆる「四国四商」の1校をなす学校だが、1996年春夏を最後に甲子園からは遠ざかっている。1回の守備につく前の「志摩供養」は有名(現在は甲子園では行われず、夏の香川大会でのみ行われている)。

 

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観音寺中央観音寺市

1995年春のセンバツで初出場優勝。同年夏も甲子園に出場したがこの時は初戦敗退。それ以降、春夏を通じて全く甲子園には出場していないのだが、何故かこのシンプルなユニフォームは鮮烈な印象に残っている。

全身が純白1色で胸に校章、色も赤系というデザインは、同じ四国の土佐高を想起させせる。

 

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尽誠学園善通寺市

1980年代から力をつけ、2000年代まで甲子園の常連校であったが、近年は甲子園から遠ざかっている。帽子のマークが漢字1字というのはかなり珍しい。昔読んだ本によれば、胸の文字が旧字体で「盡誠」と書かれていた時期もあったようだ。

 

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徳島商徳島市

いわゆる「四国四商」の1校。準優勝した1958年夏、魚津高との延長18回引き分け再試合は有名。「四国四商」の4校の中で唯一、ロゴの表記が「~SHO」となっている。近年は左袖に校章(帽子のマークと同じ)が入ったようだ。

 

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池田三好市

1970~80年代、蔦文也監督のもと「山彦打線」で一時代を築いた。春夏合わせて優勝3回、準優勝2回。1982年~83年にかけて夏春連覇。

とてもスタイリッシュなデザインで、個人的に好きなユニフォームの1つだ。袖のラインは蔦監督の母校である同志社大をフィーチャーしたという説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか。

 

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鳴門(鳴門市)

戦後間もない1950年代に優勝1回、準優勝2回。徳島商と並ぶ強豪の1つであった(当時も今と同じデザインだったのだろうか?)。近年はまた頻繁に甲子園に出場するようになった。実際は左袖に校章が入る。