高校野球ユニフォーム・奈良
天理(天理市)
1980~90年代にかけて、春1回・夏2回の全国制覇を果たした名門。袖のマークは校章ではなく天理教の紋章らしい。
紫を基調としたユニフォームはすっかりお馴染みだが、古くは白い帽子の時期もあったようだ。
天理高が一時代を築く前、奈良県において強豪といえばこの智弁学園だったという。当時、同校を率いていたのはその後、智弁和歌山で一時代を築いた高島仁監督だった。
兄弟校の智弁和歌山と同じデザインということで度々話題になるが、実際に細かく見ると袖の校章の他にも、胸のロゴが和歌山のものよりもやや縦長になっているようだ。ということでイラストではその辺の雰囲気も出してみた。
郡山(大和郡山市)
公立校ながら、私学の天理高・智弁学園と並んで県内においては3強の地位を長く維持していたが、近年は甲子園から遠ざかってしまった。
肩の太いラインは箕島高や新湊高、ロゴの書体は池田高に似た印象を受ける。
高校野球ユニフォーム・栃木
コメントを下さった方から、「是非とも栃木県勢のユニフォームを紹介してほしい」とのリクエストを受けたので、やってみることにした。
1962年、高校野球史上初の甲子園春夏連覇を達成。1973年には江川卓投手でブームを巻き起こした名門。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
そういえば2000年頃の一時期、星稜高や後述の宇都宮商にも似た真っ黄色のユニフォームで甲子園に出場したことがあったように記憶しているのだが、今はまたごく普通のアイボリーに戻ってしまったようである。あれは一体何だったのだろう?
宇都宮工(宇都宮市)
1959年夏の甲子園で準優勝。白と黒のシンプルなデザインながら、アンダーシャツの青がとても鮮やかだ。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
1986年春の選抜で準優勝。白と紺のシンプルなデザインながら、袖と首の2本ラインが他にはない個性を出していて、良いアクセントになっている。
宇都宮商(宇都宮市)
近年では2013年春の選抜に出場。星稜高や都城高にも似た、クリーム色よりもまだ濃い独特の黄色いユニフォームがとても印象的だ。
小山(小山市)
1976年春の選抜で準優勝。広沢克実氏の母校でもある。純白を基調に胸に「OYAMAKO」のデザインは昔から変わっていないようで、隣県の名門・前橋高にも似た印象を受ける。
現在は校名が文星芸大付と改められた。ここもクリーム色のようなベージュのような独特の色合いのユニフォーム(どういうわけか栃木県はこの手の色遣いが多い気がする)で、胸の「Ugaku」のロゴもどこかレトロな印象だった。子どもの頃にテレビ中継で観た、おじいさん監督の故・上野武志監督と共に、今でも印象に残っている。
播州の秋まつりシリーズ・CM編 Vol.2
かなり久しぶりの「播州の秋まつりシリーズ・CM編」である。
今回は魚吹八幡神社の番組からいくつか取り上げる。
はなおか
「おいしいもんですなぁ~。はなおかの、焼あなご」
出演しているのは落語家の露の新治氏(昔サンテレビでレギュラーの料理番組をやっていたと思う)で、魚吹の他に灘のけんか祭りの番組でもよくCMを流している。
かなり年代物の映像で、個人的にたいへん気に入っていたのだが、今年とうとう地デジ仕様にリニューアルされてしまったのは残念だった・・・。
ダイワ
「(ダ)誰もが (イ)いつでも (ワ)笑って暮らせる」
網干にあるガス工事会社。比較的新しそうな気もするのだが、それでも年代物であることに変わりはない。
「この滝には、龍が棲むという。男たちは皆、龍になりたいと願った」
網干駅前にある本田商店がつくっている「龍力」のCM。この強烈なインパクトとタイムスリップ感はたまらない。
16:9の地デジ仕様で画質も良いが、近年はサンテレビでもこの時期くらいしか見なくなった1枚ものの静止画CMで、「交通安全祈願」と「七五三まいり」の2パターンがある。
かなり昔、某所にて拾った画像が出てきたので掲載する。サイズが小さいのが残念だが、地デジ仕様にリニューアルされるまで使われていたようで、2011年頃だったか、同じ静止画CMを実際に見たような気もする。
高校野球ユニフォーム・静岡
静岡(静岡市)
静岡中時代の1926年、夏の甲子園で優勝(静岡県勢の夏制覇はこの時が唯一である)。戦後、静岡高となってからも1960年と1973年の夏にそれぞれ準優勝している。押しも押されもせぬ古豪だが、近年も衰退することなく頻繁に甲子園に出場している。
筆記体の「Shizuoka」のロゴが独特で、歴史と伝統を感じさせる。静岡中時代は同じ筆記体で「Seichu」と書かれていたようだ。
静岡高と並ぶ静岡を代表する名門で、1952年春の選抜で優勝、1954年と1968年の夏には準優勝。近年では2007年夏の甲子園における活躍が記憶に新しい。
早稲田スタイルの臙脂の部分を紺に置き換えたようなデザインは、とてもシックで気に入っている。
浜松商(浜松市)
1978年春の選抜で優勝した。当時、同校を率いた磯部修三監督はその後、常葉菊川に移り一時代を築いた。
早稲田スタイルのフォントに白と紺という組み合わせは、同じ県内の静岡商をフィーチャーしたのだろうか?
2000年代に入って力をつけ、2007年春の選抜で優勝、翌年夏の甲子園でも準優勝した。
ニューヨーク・ヤンキースをフィーチャーしたと一目でわかる(!)ユニフォームだが、以前は縦縞がなく「TOKOHA」と書かれていたり、1996年夏に初出場した時は白が基調で漢字で「常葉菊川」と書いてあったと思う。この時代のユニフォームを見たいのだが画像も資料も見つからず、あったとしてもほとんどはモノクロばかりなのが残念だ。
1976年の「ゆく年くる年」
1976年の大晦日から1977年の元日にかけて、全国の民放で一斉に同時放送された『ゆく年くる年』の音声である。
この年の制作局はTBSだったようで、司会は田宮二郎氏、レポーターは山口百恵氏、ヘリコプターから中継しているのは当時TBSのアナウンサーであった久米宏氏、他にもまるで昭和のテレビ黄金時代を象徴するような、そうそうたる顔ぶれである。
関西からの中継(毎日放送だろうか?)では鳳蘭氏や桂三枝師匠のほか、横山やすし・西川きよし師匠とおぼしき声も聴こえる。やはり今のテレビと違って、レポーターの声や言い回しにも何処か気品が感じられる。
奇しくも田宮氏は新年を迎えた翌年に自ら命を絶ってしまい、山口氏もその2年後に引退してしまった。
1976年といえば、私は当然生まれる前のことだが、まだ敗戦からやっと30年ほどが過ぎたばかり。動画の中にも東京の紡績工場で働いていた女性や北海道の国鉄駅員など、戦中戦後の混乱の中を、死に物狂いで生きてきた人々の声が綴られている。
日本中ががむしゃらに純粋に、いろいろ多くの矛盾や問題を抱えながらも、「今日よりも素晴らしい明日」を追い続け、「より優れた国々」を見習い追いつき追い越そうと、蒸気機関車のように全力で走り抜こうとしていた、あの時代の息吹が伝わってくる気がする。
あれから更に40年近くが経つ。
この国は、この社会は、あの時代の精神をどれほど残しているだろうか?「今日よりも素晴らしい明日」を追い続ける、「より優れた国々」を見習おうとする精神は、今どれほどあるだろうか?数々の矛盾や問題を解決しようとするよりも、「まぁ、それでも仕方がないよね」「もう、どうにもならん」と居直ってしまっていはいないか?
そんなことを最近、自分はいつも考える。決してあの時代が素晴らしい、ユートピアのような時代だったとは思わないが。
もうすぐ年末が近づいてくる。最近の民放は何処の局も、わざわざ年越しの瞬間に放送する意味を感じられないようなバラエティばかりなので(アーティストのライブなどはまだ良いと思うのだが)、全民放同時放送と言わずとも、何処か1局でいいからこういう感じの「ゆく年くる年」を放送してくれればいいのになぁと思う。NHKばかりではそろそろマンネリというのもある。
高校野球ユニフォーム・福岡
小倉(北九州市)
戦前から続く文武両道の名門で、夏は優勝2回。1947年夏は旧制小倉中、翌48年夏は新制小倉高として2連覇を達成した。春の選抜でも2回の準優勝を誇る。
胸のKマークが、ドイツ文字を意識したのかかなり独特のデザインだ。
三池工(大牟田市)
1965年夏、春夏通じて初めての甲子園で初出場優勝。その後は現在に至るまで甲子園に出場していないため、現在まで甲子園では勝率10割の負けなしである。同校を率いた原貢監督はその後、東海大相模で黄金時代を築いた。
1960年代のユニフォームによくあるズボン番号が入っている。帽子のMマークは当時は白、現在はオレンジ色のようだ。
優勝経験こそないが、ここも小倉と並ぶ文武両道の名門。仰木彬監督の母校でもある。
白と臙脂のスタンダードな早稲田スタイルで、実際は左袖に校章が入る。
1992年夏の甲子園で優勝。あの新庄剛志選手の母校としても知られる。
胸に漢字で「西短」のシンプルなデザインだが、新庄の在学中は「NISHIDAI」と書かれていた時期もあったようだ(何故「NISHITAN」ではなく「NISHIDAI」なのかよく分からない)。実際は左袖に校章が入る。
福岡第一(福岡市)
1988年夏の甲子園で準優勝。深緑と縦縞、筆記体の「Daiichi」ロゴという基本デザインは変わらないが、ロゴに黄色い縁取りがついたり縦縞の幅が太くなったり、いろいろマイナーチェンジを繰り返しているようだ。ここでは1988年のものを掲載した。