夜行列車で行こう
久しぶりのイラスト。
とある年の暮れの夜、夜行列車に乗り込む人々でごった返す駅のホームの景色である。
前に描いためんこ遊びの絵とも通じるが、昭和の日本のようで昭和の日本ではない、まだ国鉄が存在して日本全国を夜行列車が走り回りながら、人々が普通にスマホやネットを使いこなしていたりする、昭和と現代がチャンポンになったような、そういう世界である。だから敢えてキャリーバックを持った人がいたり、人々のファッションなどは現代風にしたり、細部は敢えて史実と違うものにしてある。
年末の帰省ラッシュをイメージして描いたつもりだったのだが、それにしてはホームが人でびっしり埋まっていないし、あまり雰囲気が出なかったような気もするのが反省点だ。
めんこ遊び
めんこで遊ぶ子どもたちを描いた。
職場の上司と先輩が以前、「わしらが子どもの頃はようパッチンで遊んだもんや」などと話していたのを聞いて、一度描いてみたくなって描いたわけである。
「めんこ」という名前は標準語のようなもので、関西のこの辺りでは「パッチン」だったか「ペッタン」だったか、その辺はちょっと記憶が定かではない。
煙草屋の店先には赤電話が置いてある。世界観としては、昭和の日本っぽく見えるが昭和の日本そのものではない、昭和の日本によく似た別の世界、というか何というか。
赤地に白い円の中に「たばこ」と書かれた看板、紺地に白で「塩」と書かれた看板も、今でもあちこちで見かける(ネットの質問サイトで「どうして煙草と塩が一緒に扱われているのですか?」という質問を見た時は驚いた!)。もちろんこのイラストの世界ではまだ専売公社が存在している。
右のお好み焼き屋は、前にアップしたイラストに登場するあのお好み焼き屋である。
「おばちゃーん、今からパッチンするねん。ちょっと段ボール箱貸してくれる?」
「ええでぇ、何でも好きなのを持って行きー。車に気ぃつけて遊ぶねんで」
「わかったー。アレ、おじちゃんどこか行くん?」
「イヤー、ちょっと煙草を切らしてもてなぁ。すんまへーん、ハイライト1つ」
高校野球ユニフォーム・奈良
天理(天理市)
1980~90年代にかけて、春1回・夏2回の全国制覇を果たした名門。袖のマークは校章ではなく天理教の紋章らしい。
紫を基調としたユニフォームはすっかりお馴染みだが、古くは白い帽子の時期もあったようだ。
天理高が一時代を築く前、奈良県において強豪といえばこの智弁学園だったという。当時、同校を率いていたのはその後、智弁和歌山で一時代を築いた高島仁監督だった。
兄弟校の智弁和歌山と同じデザインということで度々話題になるが、実際に細かく見ると袖の校章の他にも、胸のロゴが和歌山のものよりもやや縦長になっているようだ。ということでイラストではその辺の雰囲気も出してみた。
郡山(大和郡山市)
公立校ながら、私学の天理高・智弁学園と並んで県内においては3強の地位を長く維持していたが、近年は甲子園から遠ざかってしまった。
肩の太いラインは箕島高や新湊高、ロゴの書体は池田高に似た印象を受ける。
高校野球ユニフォーム・栃木
コメントを下さった方から、「是非とも栃木県勢のユニフォームを紹介してほしい」とのリクエストを受けたので、やってみることにした。
1962年、高校野球史上初の甲子園春夏連覇を達成。1973年には江川卓投手でブームを巻き起こした名門。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
そういえば2000年頃の一時期、星稜高や後述の宇都宮商にも似た真っ黄色のユニフォームで甲子園に出場したことがあったように記憶しているのだが、今はまたごく普通のアイボリーに戻ってしまったようである。あれは一体何だったのだろう?
宇都宮工(宇都宮市)
1959年夏の甲子園で準優勝。白と黒のシンプルなデザインながら、アンダーシャツの青がとても鮮やかだ。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
1986年春の選抜で準優勝。白と紺のシンプルなデザインながら、袖と首の2本ラインが他にはない個性を出していて、良いアクセントになっている。
宇都宮商(宇都宮市)
近年では2013年春の選抜に出場。星稜高や都城高にも似た、クリーム色よりもまだ濃い独特の黄色いユニフォームがとても印象的だ。
小山(小山市)
1976年春の選抜で準優勝。広沢克実氏の母校でもある。純白を基調に胸に「OYAMAKO」のデザインは昔から変わっていないようで、隣県の名門・前橋高にも似た印象を受ける。
現在は校名が文星芸大付と改められた。ここもクリーム色のようなベージュのような独特の色合いのユニフォーム(どういうわけか栃木県はこの手の色遣いが多い気がする)で、胸の「Ugaku」のロゴもどこかレトロな印象だった。子どもの頃にテレビ中継で観た、おじいさん監督の故・上野武志監督と共に、今でも印象に残っている。
播州の秋まつりシリーズ・CM編 Vol.2
かなり久しぶりの「播州の秋まつりシリーズ・CM編」である。
今回は魚吹八幡神社の番組からいくつか取り上げる。
はなおか
「おいしいもんですなぁ~。はなおかの、焼あなご」
出演しているのは落語家の露の新治氏(昔サンテレビでレギュラーの料理番組をやっていたと思う)で、魚吹の他に灘のけんか祭りの番組でもよくCMを流している。
かなり年代物の映像で、個人的にたいへん気に入っていたのだが、今年とうとう地デジ仕様にリニューアルされてしまったのは残念だった・・・。
ダイワ
「(ダ)誰もが (イ)いつでも (ワ)笑って暮らせる」
網干にあるガス工事会社。比較的新しそうな気もするのだが、それでも年代物であることに変わりはない。
「この滝には、龍が棲むという。男たちは皆、龍になりたいと願った」
網干駅前にある本田商店がつくっている「龍力」のCM。この強烈なインパクトとタイムスリップ感はたまらない。
16:9の地デジ仕様で画質も良いが、近年はサンテレビでもこの時期くらいしか見なくなった1枚ものの静止画CMで、「交通安全祈願」と「七五三まいり」の2パターンがある。
かなり昔、某所にて拾った画像が出てきたので掲載する。サイズが小さいのが残念だが、地デジ仕様にリニューアルされるまで使われていたようで、2011年頃だったか、同じ静止画CMを実際に見たような気もする。
高校野球ユニフォーム・静岡
静岡(静岡市)
静岡中時代の1926年、夏の甲子園で優勝(静岡県勢の夏制覇はこの時が唯一である)。戦後、静岡高となってからも1960年と1973年の夏にそれぞれ準優勝している。押しも押されもせぬ古豪だが、近年も衰退することなく頻繁に甲子園に出場している。
筆記体の「Shizuoka」のロゴが独特で、歴史と伝統を感じさせる。静岡中時代は同じ筆記体で「Seichu」と書かれていたようだ。
静岡高と並ぶ静岡を代表する名門で、1952年春の選抜で優勝、1954年と1968年の夏には準優勝。近年では2007年夏の甲子園における活躍が記憶に新しい。
早稲田スタイルの臙脂の部分を紺に置き換えたようなデザインは、とてもシックで気に入っている。
浜松商(浜松市)
1978年春の選抜で優勝した。当時、同校を率いた磯部修三監督はその後、常葉菊川に移り一時代を築いた。
早稲田スタイルのフォントに白と紺という組み合わせは、同じ県内の静岡商をフィーチャーしたのだろうか?
2000年代に入って力をつけ、2007年春の選抜で優勝、翌年夏の甲子園でも準優勝した。
ニューヨーク・ヤンキースをフィーチャーしたと一目でわかる(!)ユニフォームだが、以前は縦縞がなく「TOKOHA」と書かれていたり、1996年夏に初出場した時は白が基調で漢字で「常葉菊川」と書いてあったと思う。この時代のユニフォームを見たいのだが画像も資料も見つからず、あったとしてもほとんどはモノクロばかりなのが残念だ。