播州オクトーバーフェスト

日頃の出来事や日々思うことなどを、取りとめもなく書いていきます。地元ネタが多いです。

沖縄2017 Vol.3

3日目は伊是名島から本島に戻り、いつも定宿にしているコザの宿に移った。

 

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コザの夕暮れ。

 

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4日目に訪れた浜比嘉島の家々。うるま市のJA与那城支店前から海中道路を通って伊計島までを結ぶ小さなバスが出ており、これに乗って浜比嘉島に向かった。

小さな島であるが、ここもさとうきび畑の中に伝統的な瓦屋根の家が頭をのぞかせる、のどかな風景が見られる好きな島だ。

  

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浜比嘉島のムルク浜。

比嘉港湾前というバス停で降り、リゾートホテルの脇の道を少し歩いて行くとビーチに着く。

 

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ちょうど空が曇ってきてしまったのだが、それでも晴れ間がのぞくタイミングを見計らってシャッターを切った。

海水浴の準備は何もしてこなかったのだが、島ぞうりを履いた足を波打ち際に突っ込んで「足の先っぽだけ海水浴」を楽しんだ。これがまた結構、水が冷たくてなかなか気持ち良かった。

 

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コザで一番の繁華街「中の町」と、宿の近くの風景。

 

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最終日は那覇まで出た後、そこからバスを乗りつぎ、南部の南城市にある新原ビーチに行った。

前日とは違い快晴で、ここでも写真を撮りながら島ぞうりを履いて「足の先だけ海水浴」を楽しんだのだが、ムルク浜と違って海水がぬるかったのがやや難点だった。

沖縄2017 Vol.2

今回訪れた伊是名島琉球王朝第二尚氏王統の創始者尚円王(「第二」となっているのはクーデターで第一尚氏王統を倒したため)の出身地であり、琉球王国時代には王府の直轄領であった。現在の住所が「島尻郡伊是名村」となっているのはその名残である。

 

前述のように2日目はレンタサイクルを借り、伊是名地区までサイクリングしたのだが、想像以上にアップダウンのきつい道で、両腕を日焼けするわトゲのついた草の実がズボンにくっつくわ(この手の草は何処にでも生えているが伊是名島のものはとりわけ痛かった)で、大変な目にあってしまった。

 

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銘苅家住宅。銘苅家は尚円王の叔父の末裔で、代々島の地頭を務めた家柄であった。

 

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聖地「アハラ御嶽」の付近から撮った、陸ギタラと海ギタラ。見ての通り相当に高い場所なので、最後はここまできつい坂を自転車を押して歩いていた。

 

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そして下り坂から見えた海。

 

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仲田港のすぐ近くにある「居酒屋お食事処 やま」で、昼食に肉野菜炒め定食を食べた。

野菜にもやし、豆腐、豚肉にランチョンミートまで入って、正に「チャンプルー」という言葉がピッタリ似合う感じだった。

地元の人に、「13~14時頃は一番暑くて日差しもきついので、外は出歩かない方がいい」と言われ、その後は結局、クーラーのよく効いた港の待合室で、テレビを見ながらひたすらボーッと過ごしていた。

 

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2日目の夕食。

 

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3日目に登った伊是名城跡。ふもとにある石垣は陵墓「伊是名玉御殿」。

写真では分かりづらいがピラミッドにも似た独特の形をしており、海からも陸からもよく分かる。

山頂への道があったので登ろうとしたのだが、思った以上に険しい山道で、結局中腹まで登ったところで断念してしまった。

 

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仲田港から伊是名城跡に向かう途中にある「タアシ美浜(ターシ浜)」のビーチ。

 

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船の出発を待つ間、港のレストランで食べた沖縄そば定食。

お昼の書き入れ時だったせいで注文がなかなか来なかったり、セルフサービスの給水機の水がなくなっていたりで、なかなか難儀した。

 

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フェリーが島を離れる。伊是名城跡も海の上から見ると、ピラミッドの形をしているのがよく分かる。

船内のテレビでは高校野球沖縄大会の決勝、興南-美来工科の試合が放送されていたが、あまりの一方的な試合展開で、途中からお客は誰も中継を観ていなかった…。

 

(つづく)

沖縄2017

7月14~18日にかけて、恒例の沖縄旅行に行った。

今回の目的地は、沖縄と奄美の間に浮かぶ伊是名島という小さな島。

那覇空港から海洋博公園を経て、今帰仁村の運天港まで結ぶ直通の高速バス「やんばる急行バス」に乗り、運天港からフェリーに乗って島へと向かう。

神戸空港の保安検査が異様に混雑しており、その影響で飛行機の出発が30分近くも遅れてしまったのには驚いた。

 

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運天港のターミナル。本島と伊是名島、それから隣の伊平屋島を結ぶフェリーがここに発着している。

写真は伊是名島行きの切符売り場と休憩所で、ちょうど反対側に伊平屋島行きの切符売り場と売店がある。

何故かターミナルの一角に卓球台が置いてあり、お客さんが卓球に興じていた。

 

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伊是名島行きの「フェリーいぜな尚円」。一昨年就航したばかりだそうで、とても大きくきれいなフェリーだった。

 

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今回泊まった「民宿まえだ」。水色の壁は船の中からでもよく見えた(何故か沖縄の建物は水色や緑、オレンジ色などに塗られた壁が多い)。

全室バス・トイレ付で、客室も食堂もとてもきれいなものだった。

 

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民宿まえだのすぐ隣にある「仲田共同売店」。スーパーもコンビニもない島で、地区の人たちが出資ししあって運営している店である。

品揃えはかなり豊富で、それこそ普通のコンビニや小規模なスーパーと比べても何ら遜色のないものだった。店内では何故か90年代のJ-POPが流れ、レジのおばさんが歌を口ずさんでいた。

 

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宿の夕食。この宿の食事は魚料理が売り物だそうで、この日の夕食は相当にボリュームがあって食べきるのに苦労した。

 

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宿のすぐ前に広がる、仲田集落の家々。伝統的な漆喰で固められた瓦屋根の家が多く見られる。

バスの窓から景色を見ていてふと気付いたのだが、この瓦屋根の家はほとんど全てが平屋建てで、2階建ての家はないらしかった。地元の人の話によれば理由はやはり台風で、2階建てにすると瓦が暴風で飛んだり、屋根の重みに柱が耐えられなくなるとのことであった。また沖縄は土地が安いので、高く建てるよりも土地を広く使いたい、という考えもあるとのことであった。

 

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翌日は港でレンタサイクルを借り、島をサイクリングして回った。

上の写真の海に浮かぶ岩は「海ギタラ」、下の写真の空にそそり立つ岩は「陸ギタラ」。

仲田地区から島の南部の伊是名地区まで、アップダウンのきつい道には自販機が1個もなく、炎天下で脱水症状になりかかった。景色を楽しむよりも「早く伊是名地区に着いて自販機を見つけなければ!」という意識ばかりが先に立ってしまった。

 

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伊是名ビーチ。海水浴の設備はあるものの客はおらず、地元の人とおぼしき男性が日陰で涼んでいるだけの静かな海だった。

 

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沖縄で私が好きな風景の1つが、なだらかに広がるさとうきび畑の向こうに海が見え、その合間合間に瓦屋根の家や四角い沖縄独特の建物が頭をのぞかせている……という風景である。この伊是名島でもそのような風景が多く見られた。

 

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伊是名酒造所。沖縄ではどんな小さな離島にも大抵1つは泡盛をつくる酒蔵があるようだ。

 

(つづく)

夜行列車で行こう

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久しぶりのイラスト。

とある年の暮れの夜、夜行列車に乗り込む人々でごった返す駅のホームの景色である。

前に描いためんこ遊びの絵とも通じるが、昭和の日本のようで昭和の日本ではない、まだ国鉄が存在して日本全国を夜行列車が走り回りながら、人々が普通にスマホやネットを使いこなしていたりする、昭和と現代がチャンポンになったような、そういう世界である。だから敢えてキャリーバックを持った人がいたり、人々のファッションなどは現代風にしたり、細部は敢えて史実と違うものにしてある。

年末の帰省ラッシュをイメージして描いたつもりだったのだが、それにしてはホームが人でびっしり埋まっていないし、あまり雰囲気が出なかったような気もするのが反省点だ。

めんこ遊び

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めんこで遊ぶ子どもたちを描いた。

職場の上司と先輩が以前、「わしらが子どもの頃はようパッチンで遊んだもんや」などと話していたのを聞いて、一度描いてみたくなって描いたわけである。

「めんこ」という名前は標準語のようなもので、関西のこの辺りでは「パッチン」だったか「ペッタン」だったか、その辺はちょっと記憶が定かではない。

煙草屋の店先には赤電話が置いてある。世界観としては、昭和の日本っぽく見えるが昭和の日本そのものではない、昭和の日本によく似た別の世界、というか何というか。

赤地に白い円の中に「たばこ」と書かれた看板、紺地に白で「塩」と書かれた看板も、今でもあちこちで見かける(ネットの質問サイトで「どうして煙草と塩が一緒に扱われているのですか?」という質問を見た時は驚いた!)。もちろんこのイラストの世界ではまだ専売公社が存在している。

右のお好み焼き屋は、前にアップしたイラストに登場するあのお好み焼き屋である。

 

「おばちゃーん、今からパッチンするねん。ちょっと段ボール箱貸してくれる?」

「ええでぇ、何でも好きなのを持って行きー。車に気ぃつけて遊ぶねんで」

「わかったー。アレ、おじちゃんどこか行くん?」

「イヤー、ちょっと煙草を切らしてもてなぁ。すんまへーん、ハイライト1つ」

高校野球ユニフォーム・奈良

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天理天理市

1980~90年代にかけて、春1回・夏2回の全国制覇を果たした名門。袖のマークは校章ではなく天理教の紋章らしい。

紫を基調としたユニフォームはすっかりお馴染みだが、古くは白い帽子の時期もあったようだ。

 

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智弁学園五條市

天理高が一時代を築く前、奈良県において強豪といえばこの智弁学園だったという。当時、同校を率いていたのはその後、智弁和歌山で一時代を築いた高島仁監督だった。

兄弟校の智弁和歌山と同じデザインということで度々話題になるが、実際に細かく見ると袖の校章の他にも、胸のロゴが和歌山のものよりもやや縦長になっているようだ。ということでイラストではその辺の雰囲気も出してみた。

 

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郡山大和郡山市

公立校ながら、私学の天理高・智弁学園と並んで県内においては3強の地位を長く維持していたが、近年は甲子園から遠ざかってしまった。

肩の太いラインは箕島高や新湊高、ロゴの書体は池田高に似た印象を受ける。

輝流ライン

www.nikkansports.com

 

このデザインのユニフォームは子どもの頃、ある人にもらった70年代の選手名鑑の写真で見たことがある。田淵、掛布、古沢といった選手が載っていたと思う。

子ども心には「虎の牙か体の模様みたいで、何だかカッコいいな」と思った記憶がある。

しかしこのユニフォームを着用していた時代の阪神といえば、球団史上初の最下位に江夏や田淵のトレードと、あまり明るい話題のない時代でもあったのだが、何年か前にも交流戦の時期に1度復刻されたことがあったし、応援団の衣装やグッズなどにこのラインが使われていたりする。やはりこの時代に思い入れのあるファンが多いのだろうか。