沖縄2017
7月14~18日にかけて、恒例の沖縄旅行に行った。
今回の目的地は、沖縄と奄美の間に浮かぶ伊是名島という小さな島。
那覇空港から海洋博公園を経て、今帰仁村の運天港まで結ぶ直通の高速バス「やんばる急行バス」に乗り、運天港からフェリーに乗って島へと向かう。
神戸空港の保安検査が異様に混雑しており、その影響で飛行機の出発が30分近くも遅れてしまったのには驚いた。
運天港のターミナル。本島と伊是名島、それから隣の伊平屋島を結ぶフェリーがここに発着している。
写真は伊是名島行きの切符売り場と休憩所で、ちょうど反対側に伊平屋島行きの切符売り場と売店がある。
何故かターミナルの一角に卓球台が置いてあり、お客さんが卓球に興じていた。
伊是名島行きの「フェリーいぜな尚円」。一昨年就航したばかりだそうで、とても大きくきれいなフェリーだった。
今回泊まった「民宿まえだ」。水色の壁は船の中からでもよく見えた(何故か沖縄の建物は水色や緑、オレンジ色などに塗られた壁が多い)。
全室バス・トイレ付で、客室も食堂もとてもきれいなものだった。
民宿まえだのすぐ隣にある「仲田共同売店」。スーパーもコンビニもない島で、地区の人たちが出資ししあって運営している店である。
品揃えはかなり豊富で、それこそ普通のコンビニや小規模なスーパーと比べても何ら遜色のないものだった。店内では何故か90年代のJ-POPが流れ、レジのおばさんが歌を口ずさんでいた。
宿の夕食。この宿の食事は魚料理が売り物だそうで、この日の夕食は相当にボリュームがあって食べきるのに苦労した。
宿のすぐ前に広がる、仲田集落の家々。伝統的な漆喰で固められた瓦屋根の家が多く見られる。
バスの窓から景色を見ていてふと気付いたのだが、この瓦屋根の家はほとんど全てが平屋建てで、2階建ての家はないらしかった。地元の人の話によれば理由はやはり台風で、2階建てにすると瓦が暴風で飛んだり、屋根の重みに柱が耐えられなくなるとのことであった。また沖縄は土地が安いので、高く建てるよりも土地を広く使いたい、という考えもあるとのことであった。
翌日は港でレンタサイクルを借り、島をサイクリングして回った。
上の写真の海に浮かぶ岩は「海ギタラ」、下の写真の空にそそり立つ岩は「陸ギタラ」。
仲田地区から島の南部の伊是名地区まで、アップダウンのきつい道には自販機が1個もなく、炎天下で脱水症状になりかかった。景色を楽しむよりも「早く伊是名地区に着いて自販機を見つけなければ!」という意識ばかりが先に立ってしまった。
伊是名ビーチ。海水浴の設備はあるものの客はおらず、地元の人とおぼしき男性が日陰で涼んでいるだけの静かな海だった。
沖縄で私が好きな風景の1つが、なだらかに広がるさとうきび畑の向こうに海が見え、その合間合間に瓦屋根の家や四角い沖縄独特の建物が頭をのぞかせている……という風景である。この伊是名島でもそのような風景が多く見られた。
伊是名酒造所。沖縄ではどんな小さな離島にも大抵1つは泡盛をつくる酒蔵があるようだ。
(つづく)
夜行列車で行こう
久しぶりのイラスト。
とある年の暮れの夜、夜行列車に乗り込む人々でごった返す駅のホームの景色である。
前に描いためんこ遊びの絵とも通じるが、昭和の日本のようで昭和の日本ではない、まだ国鉄が存在して日本全国を夜行列車が走り回りながら、人々が普通にスマホやネットを使いこなしていたりする、昭和と現代がチャンポンになったような、そういう世界である。だから敢えてキャリーバックを持った人がいたり、人々のファッションなどは現代風にしたり、細部は敢えて史実と違うものにしてある。
年末の帰省ラッシュをイメージして描いたつもりだったのだが、それにしてはホームが人でびっしり埋まっていないし、あまり雰囲気が出なかったような気もするのが反省点だ。
めんこ遊び
めんこで遊ぶ子どもたちを描いた。
職場の上司と先輩が以前、「わしらが子どもの頃はようパッチンで遊んだもんや」などと話していたのを聞いて、一度描いてみたくなって描いたわけである。
「めんこ」という名前は標準語のようなもので、関西のこの辺りでは「パッチン」だったか「ペッタン」だったか、その辺はちょっと記憶が定かではない。
煙草屋の店先には赤電話が置いてある。世界観としては、昭和の日本っぽく見えるが昭和の日本そのものではない、昭和の日本によく似た別の世界、というか何というか。
赤地に白い円の中に「たばこ」と書かれた看板、紺地に白で「塩」と書かれた看板も、今でもあちこちで見かける(ネットの質問サイトで「どうして煙草と塩が一緒に扱われているのですか?」という質問を見た時は驚いた!)。もちろんこのイラストの世界ではまだ専売公社が存在している。
右のお好み焼き屋は、前にアップしたイラストに登場するあのお好み焼き屋である。
「おばちゃーん、今からパッチンするねん。ちょっと段ボール箱貸してくれる?」
「ええでぇ、何でも好きなのを持って行きー。車に気ぃつけて遊ぶねんで」
「わかったー。アレ、おじちゃんどこか行くん?」
「イヤー、ちょっと煙草を切らしてもてなぁ。すんまへーん、ハイライト1つ」
高校野球ユニフォーム・奈良
天理(天理市)
1980~90年代にかけて、春1回・夏2回の全国制覇を果たした名門。袖のマークは校章ではなく天理教の紋章らしい。
紫を基調としたユニフォームはすっかりお馴染みだが、古くは白い帽子の時期もあったようだ。
天理高が一時代を築く前、奈良県において強豪といえばこの智弁学園だったという。当時、同校を率いていたのはその後、智弁和歌山で一時代を築いた高島仁監督だった。
兄弟校の智弁和歌山と同じデザインということで度々話題になるが、実際に細かく見ると袖の校章の他にも、胸のロゴが和歌山のものよりもやや縦長になっているようだ。ということでイラストではその辺の雰囲気も出してみた。
郡山(大和郡山市)
公立校ながら、私学の天理高・智弁学園と並んで県内においては3強の地位を長く維持していたが、近年は甲子園から遠ざかってしまった。
肩の太いラインは箕島高や新湊高、ロゴの書体は池田高に似た印象を受ける。
高校野球ユニフォーム・栃木
コメントを下さった方から、「是非とも栃木県勢のユニフォームを紹介してほしい」とのリクエストを受けたので、やってみることにした。
1962年、高校野球史上初の甲子園春夏連覇を達成。1973年には江川卓投手でブームを巻き起こした名門。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
そういえば2000年頃の一時期、星稜高や後述の宇都宮商にも似た真っ黄色のユニフォームで甲子園に出場したことがあったように記憶しているのだが、今はまたごく普通のアイボリーに戻ってしまったようである。あれは一体何だったのだろう?
宇都宮工(宇都宮市)
1959年夏の甲子園で準優勝。白と黒のシンプルなデザインながら、アンダーシャツの青がとても鮮やかだ。実際は左袖に校章のエンブレムが入る。
1986年春の選抜で準優勝。白と紺のシンプルなデザインながら、袖と首の2本ラインが他にはない個性を出していて、良いアクセントになっている。
宇都宮商(宇都宮市)
近年では2013年春の選抜に出場。星稜高や都城高にも似た、クリーム色よりもまだ濃い独特の黄色いユニフォームがとても印象的だ。
小山(小山市)
1976年春の選抜で準優勝。広沢克実氏の母校でもある。純白を基調に胸に「OYAMAKO」のデザインは昔から変わっていないようで、隣県の名門・前橋高にも似た印象を受ける。
現在は校名が文星芸大付と改められた。ここもクリーム色のようなベージュのような独特の色合いのユニフォーム(どういうわけか栃木県はこの手の色遣いが多い気がする)で、胸の「Ugaku」のロゴもどこかレトロな印象だった。子どもの頃にテレビ中継で観た、おじいさん監督の故・上野武志監督と共に、今でも印象に残っている。
播州の秋まつりシリーズ・CM編 Vol.2
かなり久しぶりの「播州の秋まつりシリーズ・CM編」である。
今回は魚吹八幡神社の番組からいくつか取り上げる。
はなおか
「おいしいもんですなぁ~。はなおかの、焼あなご」
出演しているのは落語家の露の新治氏(昔サンテレビでレギュラーの料理番組をやっていたと思う)で、魚吹の他に灘のけんか祭りの番組でもよくCMを流している。
かなり年代物の映像で、個人的にたいへん気に入っていたのだが、今年とうとう地デジ仕様にリニューアルされてしまったのは残念だった・・・。
ダイワ
「(ダ)誰もが (イ)いつでも (ワ)笑って暮らせる」
網干にあるガス工事会社。比較的新しそうな気もするのだが、それでも年代物であることに変わりはない。
「この滝には、龍が棲むという。男たちは皆、龍になりたいと願った」
網干駅前にある本田商店がつくっている「龍力」のCM。この強烈なインパクトとタイムスリップ感はたまらない。
16:9の地デジ仕様で画質も良いが、近年はサンテレビでもこの時期くらいしか見なくなった1枚ものの静止画CMで、「交通安全祈願」と「七五三まいり」の2パターンがある。
かなり昔、某所にて拾った画像が出てきたので掲載する。サイズが小さいのが残念だが、地デジ仕様にリニューアルされるまで使われていたようで、2011年頃だったか、同じ静止画CMを実際に見たような気もする。